『自閉症という謎に迫る』
自分の特性やパーソナリティを知るため、
そして、臨床心理学に関する知見を蓄積するために、
読んだ本に関する記録をつけていきたい。
記念すべき第1回目は、この一冊である。
初回なので、名著的なものにしたかったが、
ここ数日読破した書籍は小説を除いてこれくらいだったので仕方ない。
特に記録に残したい部分の要約、
そして内容に対する感想を記載していきたい。
『自閉症という謎に迫る 研究最前線報告』
監修:金沢大学子どものこころの発達研究センター
はじめに 自閉症をめぐる五つの謎
第1章 自閉症は治るか 精神医学からのアプローチ
第2章 遺伝子から見た自閉症 分子遺伝学からのアプローチ
第4章 自閉症を取り巻く文化的側面 心理学からのアプローチ
●:要約 ★:感想
◎はじめに 自閉症をめぐる五つの謎
●発達障害の一種に対し従来使用されてきた「自閉症」という用語は、近年「自閉症スペクトラム障害ASD(autism spectrum disorder)」に取って代わられた。
「スペクトラム」とは、明確に区切ることのできない虹の色のグラデーションのようなものを指しており、自閉症の人とそうではない人を明確に区別することが不可能だと示す表現である。
そして同じ自閉症でも、その「症状」の現れ方は千差万別だ。
※ただし、本書では便宜的に「自閉症」を使用する
●自閉症は身体的な検査に基づいて診断が下されるのではなく、当人の行動特徴を専門家が観察(多くは聞き取り)することで判断される。
その際診断基準となるがDSM(精神障害の診断と統計マニュアル(Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders))である。
DSM-Ⅳでは、「特定不能の広汎性発達障害PDD-NOS(pervasive developmental disorder not otherwise specified)」の診断概念が登場したことで、自閉症の領域が拡張し発現率が急増する一因となる。
DSM-5では、今日常用される「自閉症スペクトラム障害」が登場し、①対人コミュニケーションの永続的欠陥、②限局された興味や行動様式、③両徴候の小児期早期の発現、の3基準が診断の目安である。
こうした診断基準の変更により、DSM-Ⅳにおけるアスペルガー障害やPDD-NOSの該当者の7割程度がDSM-5のASDから除外された。
★ASDから除外された人々には特定の「病名」がつかず、「グレーゾーン」だと呼ばれるようになったのか?
日本では発達障害を抱えた者は、就労支援や障害年金受給の対象となる。
こうした政府からの援助を受ける際の基準も、当事者の行動特性による困難の度合いではなく、DSMでの恣意的な定義によって変化してしまうのか?
だとすれば、現在の「グレーゾーン」に当てはまる人々はDSMの診断基準によって福祉の網から零れ落ちた層だといえる。
●自閉症の発現率が急上昇し、社会問題化してきたのはなぜか?それは、遺伝と環境のどちらに起因するものか?
特定の疾患が社会的に話題になることで、人々が該当する症状に対して敏感になり、発現率が一時的に上昇する。
専門家のスクリーニング検査が増加した結果だとするのが一般的見方だが、著者は自閉症の該当者が「実際に増えている」と実感している。
経済活動のグローバル化による母体へのストレスの増大、論理優勢型で情緒面の発達をカバーする余裕のない家庭や学校、といった環境的要因が、子どもたちの自閉傾向を強化しているのではないか、という。
★発達障害の場合は外に現れる問題行動が診断基準となるため、身体的な病に比べてより恣意的判断が入り込みやすく、その発現率は社会的な注目度により左右されやすい。
アメリカのDSMを画一的に使用しているならば、各地域文化や時代の行動様式の許容度の違いにより、自閉症に該当する者の割合が変化するだろう。
つまり、「正常」とされるコミュニケーションの仕方がより限定された振る舞いで構成されるようになれば、「正常」に当てはまらない人が増え、自閉症をはじめとする発達障害と診断される確率も上昇するのではないか。
「正常」から外れる人が増えることで、「正常」とされるものの定義も揺らいでくるが...
◎第5章 社会的なものとしての自閉症 社会学からのアプローチ
●「自閉症」という言葉は今や医学的文脈で使用されるよりも、社会的概念として定着し、一部の人々に対してラベルを付与し理解するために必要とされている。
自閉症概念が流布することで、該当するような人々が自閉症カテゴリーに包含される要素を用いて自身について思索し始め、当事者らの体験や言動はまた自閉症カテゴリーそのものに影響を与えるのである。
科学哲学者イアン・ハッキングはこうした循環構造を「ループ効果」と定義し、その概念を説明する際にまさに自閉症を例にとっている。
●自閉症の中心的特徴である「コミュニケーションの障害」について掘り下げる際、「コミュニケーションとは何か」を考える必要がある。
社会学では、コミュニケーションとは、情報や記号などの有意味なシンボルを用いた双方向のやり取りと定義されている。
双方向のやり取りであることから、「コミュニケーションの障害」はその原因を片方に完全に帰することはできず、あくまで自閉症者とそれ以外の多数派の両方の問題として考える必要がある。
自閉症者どうしのコミュニケーションが特に問題なく行われることからも、「コミュニケーションの障害」はラベル付けされた少数派にその責任を押し付けたに過ぎない、と捉えることができる。
●自閉症であるか否かをめぐる争いの最前線では、極めて政治的なやりとりがなされている。
自閉症とされない多数派は自閉症のラベルを一部の人々に張り付けることで、コミュニケーションの責任を負わせ、差別や排除を正当化している。
一方、自閉症とされた人々はこうした迫害を受ける代わりに、社会的な責務の一部免除、保護や援助の対象となるなどのメリットを与えられるのである。
★「正常」とされる枠組みを維持するための力学が、自閉症などの発達障害界隈で生じている。
ラベリングされた人々もそこから得られる利益があれば、望まなかったにせよそのラベルに受容的となり、現状の多数派/少数派の関係を黙認することとなる。
「コミュニケーションの障害は双方向の問題だ」と自閉症者が声高に宣言し、「対等」な関係を築くことは、免責された重りを背負い、支援の旨みを失うを意味する。
自分にとってより有利で快適な環境を作りたい、という欲求は自閉症者を含む誰もが有しているのではないか?
そして、グレーゾーンだとされる層は、健常者と発達障害者の中間で身動きが取れない苦しみに侵されているが、多数派と少数派それぞれのメリット/デメリットを考慮しつつ、自分の身を置く場所を選択する余地が残されてるともいえよう。